現状、PSO2一色になりそうです。


by sora_hane
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Falseek第五幕『Falseek』

 ――さて、まずは。
 足元のガラスを踏み壊しながら、室内に視線を彷徨わせる。
 この屋敷に来た時に案内された応接間の数倍は巨大な部屋だ。中央にリノウが寝かされていて、館側に人間達がいる。長机に座っているのは、リガード夫妻とジョグを含めて五人。驚愕と恐怖が混ざった顔をしていたが、リガードだけは驚きながらも笑っている。
 同時に、標的達の奥にある扉から、執事やメイドが雪崩れ込んで来ている。部屋の外にでも、非常時の為に待機させておいたのだろう。一人居るフルアーマーは、体格や持っている大剣からして、グロウに間違い無さそうだ。アクトは入り込んでくる人間達は無視して、先にリノウを振り返る。
「まだ壊されて無いみたいで何よりだけど、体の方は大丈夫?」
「う、ぅん。う、ご、きにく、い……」
 声が変なのはさっきので分かったが、動きが余りにも鈍い。麻痺薬でも飲まされたか。
「リノウ、これ舐めておいて」
 警戒は続けつつ、リノウに飴状の薬を手渡す。彼女は少し躊躇ってから、薬を口の中に入れた。二度ほど嘗めてから、少女が呟いた。
「苦、いよ……アク、ト」
 情けない顔になったリノウに、軽く肩を竦めて告げる。
「文句言えるんなら大丈夫。我慢して飲み込むように」
「う、ん……あ、りが、と。来、て、くれ、て」
「気にしないで。今は先に体治す事だけ考えて」
 小声で答えたリノウの頭を軽く撫でてから、足を前に踏み出して、その場に集まった人間達を改めて見つめなおした。
 飛び込んできた執事とメイドの数は、五十前後。一様に剣やナイフを手にしている。標的達を守るように人壁を形成していた。その守護する内側に、残りのターゲットが居る。
 と。その壁の向こうで、誰かが拍手を打ち鳴らした。メイド達の壁が僅かに動いて、その人物の顔だけ見えるようになる。リガードだ。
「いやはやアクト君、驚いたよ。事件を解決させたのなら、もう帰ってくれても良かったのだがね。どうしてここに飛び込んで来た? というより、どこから気がついた? いや、むしろここに何をしに来た?」
 声の調子は穏やかだが、そこに優しい老紳士の空気は無い。背筋を凍らせる敵意を放ってくるだけだ。
 単純な事ですよ、と前置きしてから、アクトはゆっくりとした口調で告げた。
「仕事を終わらせに来ただけですよ。この連続誘拐事件を探って来い、って事で。ストラグル本国にいる、別人の依頼でね。当事者の皆殺しも考えてたんで、この場合はリノウ以外、皆殺しですね」
「成る程成る程。では、こちらに送られてくる筈だったライアが来なくなったのも、偶然では無いのかね?」
 窮鼠が噛み付いてくる様子を、象が見下ろすような表情だ。相当余裕を感じているらしい。
 ――ま、時間をかけてくれるなら、こっちとしても有り難い話だけど。
「ご想像の通りです。ライアの身辺を整理してから、確信の上で殺しました――彼も、この三文芝居の役者だったのでしょう?」
 リガードが楽しげに笑う。その笑顔が正解だ、と告げていた。
「彼が幾度もこの街に足を運んでいた事は、こちらで調べがついています。それは恐らく、打ち合わせだったのでしょう。初日のあなた方の発言からも窺えましたからね。私が『ライア』の名前をあげる前に、グロウさんが彼の名前を知っていた。シークスの返答はグリーンシーカーを送る、という文面だった筈なのに」
 そう。初日、ロブには名前を教えたが、フィルト家では一切その名を発言していない。にもかかわらず、グロウがその名を呼んだ瞬間から、目星を付ける事ができた。
「は――やれやれ、俺も馬鹿になったもんだねぇ」
 人壁の中から、男の――グロウの自嘲する声が上がる。リガードが軽く肩を竦めた。
「そこはこちらのミスだったな。だが、それだけではグロウさんだけが犯人だと判断もできたんじゃないのか? どうやってここだと分かったんだね?」
「細かい点で言えば、幾つか有ります。ジョグさんの執務室を見た瞬間に、癒着を考えましたし。貴族が来る前日か当日に少女が消えているのも、十分怪しむ点でした。彼らがここに集まっているのは想像できましたから。ただ、最大の確信を得たのは今日の事です」

「今日?」
 虚を突かれたのか、リガードの表情が間の抜けた物に変わる。アクトは含み笑いを浮かべながら、えぇ、と頷いた。
「あなた方が、最後の詰めに使おうとしていた道筋。犯人役の人間達は、下水道のマンホールまで逃げて行ったんです――その手前に『雨水排水路のマンホール』があるにも関わらず。それを使っても『出口はほぼ同じ場所にある』のに」
 グロウが用意していた地図にも、はっきりと示されていた事実。ただ逃げる事を考えるなら、明らかにあの中に逃げ込めば早かった。
「彼らの足であれば、前もってマンホールを空けておけば、ギリギリ姿を見られずに逃げ込めた筈。空けておかずとも、施錠されていた訳じゃない。一人か二人は逃げ込む事ができた。なのに、あえて遠くにある下水道へと彼らは向かった。どうして?」
 問いかけて、言葉を切る。答えないリガードの代わりに、最後の答えを口にする。
「彼らは下水道から逃げなければならなかったから。つまり、彼らは始めから犯人として捕まって、逃走経路に下水道を使っていたと思い込ませる為の存在だった。雨水排水路には、フィルト家の領内という出口があるから、万が一にでもフィルト家に疑いを持たせる訳には行かなかった。違いますか?」
「――私達が慎重になりすぎた、という事か。そんな所に気がつくとはね。駆け出しとは思えない洞察力だな、アクト君」
 人壁の中で俯き、リガードが哄笑をこぼす。狂ったピエロを思わせる、狂気的な笑い声で。リノウはおろか、執事やメイドすら顔色を悪くする中で、リガードを直視し続ける。
 彼は暫く笑い続けると、唐突に顔を上げた。チシャ猫のように歪んだ笑顔だ。
「面白い。実に面白いじゃないか、アクト君。その洞察力は素晴らしい」
「誉め言葉は素直に受け取りましょう。それで、後に続く言葉は何ですか?」
「君なら聞くまでも無いんじゃないのかね?」
 リガードはそう言って腕を伸ばし、指を鳴らした。途端、壁になっていた執事やメイドの気配が変わる。
 アクトは何も言わずに、リノウの傍まで後に下がった。
「アクト君。君ほど頭のいい人間なら、この後どうなるか分かるだろう。私達は君を殺す事ができる。生きたまま手足をもいで、目玉を抉って、腸を引き出して、脳味噌をぶちまける。リノウは予定通り壊した後で、君と同じ方法で殺す。この死は不可避だという事は分かる筈だ。術は使えないとグロウさんから聞いたからね」
 わざわざ確認されるまでも無い事だ。だが、彼はあえて強調した。続く言葉は、言われるまでもなかった。
「だが、君のその洞察力は惜しい。だから、君に問いたい。私の下に来る気はないかね? 君が調べた通り、私は貴族に顔が効く。出世するには一番の早道だと思うが。金銭面でもサポートしよう。今、殺された貴族の事も目を瞑る。だから、その依頼を破棄するつもりは無いか?」
 ――まぁ、そう来るよね。
 リガードの発言に、アクトは嘆息を零した。余りにも予想通りだと、聞いていて哀しさすら覚えてくる。
 が、余りにも魅力的な提案だ。金銭面でのサポート、レッド以上の地位。底辺に居る子供に送られるプレゼントとしては、破格にも程がある。レッドが受け取らない理由など無い。
「魅力的な提案です。では、これはもう必要ありませんね」
 彼と同じ笑みを口元に浮かべ、懐に手を入れ、目当ての物を抜き出す。レッドシーカーである事を示すカードを
「ア、クト……な、にを?」
 後から、震える声でリノウが言う。アクトは答えず、月光の中にそれを示して、両手でカードを摘み上げ――引き裂いた。
 リノウが絶句するのが、呼吸から分かる。アクトは彼女を振り返らずに、残骸を後へ投げ捨てた。
 リガードが人垣の中で笑みを濃くした。執事達から溢れていた敵意も消えた。
「そうか。嬉しいよ、アクト君。さぁ、リノウの前から」
「その前に、三つほどお伝えしておきます」
 嬉々として言うリガードの機先を制し、アクトは指を三本立てた。視線だけで問い掛けてきたリガードに、まず一つ目の指を閉じる。
「後腐れ無いように言っておきますが、私はファルシークです。初日、グロウさんが指摘した通りに、ね」
「けっ。マジでそうだったのかよ、テメェ」
 人垣の中で、グロウが忌々しそうに吐き捨てる。だが、リガードは構わずに微笑むだけだった。
「今となっては構わないさ。君が地位を望むなら、無論シーカーの地位は準備するよ」
「ありがとうございます。では、二つ目」
 呟きながら、更に後へと下がる。リガードの瞳に怪訝な色が浮かんだ所で、はっきりと告げる。
「ファルシークとして、私は術が使えないと言いました。けれど、術を使えるシーカーが共に来ていないと言った覚えは有りません」

 朗々と告げた言葉に、リガード達の顔色が変わる。だが、既に手遅れだ。
 背後から、灼熱色の光が溢れ出す。同時に、青年の――クルトの咆哮が、月下に轟いた。
『ファイ・ストム!』
 巻き起こったのは、未曾有に降り注ぐ焔の豪雨。術士のクルトが好んで使う術の一つ。
 ――よし。
 アクトは内心で握り拳を作った。クルトは、初めから部屋の外に隠れていた。カードを破いたら詠唱を開始しろと伝えておいた作戦が、上手く行って何よりだ。不意を打てた為に、グロウの対処が遅れた。お陰で、これ以上ない好機が生まれた。
「リノウ、見ない方がいいよ。動けるようになったら、すぐに逃げて」
 リノウに忠告してから瞼を下ろし、アクトは三つ目の嘘に取り掛かった。

 ◆◆

『ファイ・ウォール!』
 グロウが人壁を覆い隠せるほどの焔の壁を作り上げる。焔のシェルターに身を潜めながら、リガードは怒り狂っていた。
 ――舐めた真似をしてくれた物です。
 必死に怒りを抑えながら、心で呟く。折角出してやった仏心を、あの子供は無下に扱った。育てた執事やメイド、最前列にいたロイドも殺したのだ。許される筈が無い。
「グロウさん。リノウを残して殺して下さい。別の男共々」
「当たり前だ!」
 象を狩る獅子を思わせる、噴火にも似たグロウの咆哮。仲間をも震え上がらせる咆哮に、リガードは満足しながら頷いた。グロウは殺しに慣れた人間だ。望み通り、苦痛を味あわせて殺す方法も熟知している。せめてその表情を見なければ、この溜飲は下がらない――
 やる気の無い声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「おーい、そのシェルターの中に居る糞どもー。黙りこくってるアクトに変わって、三つ目の言葉、教えてやるよ」
「おい、テメェラ。やるぞ」
 焔の雨が止むと同時に、シェルターを解除しながら、グロウが押さえ込んだ声で回りの執事達に呼びかける。リガードも男の話など、初めから聞いていなかった。だが、男は話し続けた。
「三つ目。ファルシークの言葉はほぼ全部嘘で、アイツは本物のファルシーク。そこのオッサンより位が高い『ブルーシーカー』なんだよ、本来は」
 焔のシェルターが解除される。外にグロウ達が飛び出していく――
「術が使えないなんてのも、当然ながら大ホラだ」
 青年の声と共に、地上にて新緑の光が膨れ上がった。リガードは、己の血の気が引く音を確かに聞いた。
 手の甲を新緑色に輝かせている少年が、凛と澄んだ声で、詠唱を宣言する。
『レィジ・ウィル・パルゥド』
 それが、リガードが最後に聞いた言葉だった。

 ◆◆

 術が効力を失くした頃、ダイニングはさながらギロチンが踊り狂った処刑場と化していた。
 男も女も、貴族も執事も、物も人も、肉も骨も、皮膚も脳漿も何もかもが混ざり合った塊が、鮮血に濡れて広がっている。解き放った術の影響で、頭上でシャンデリアがクルクルと、古びた鎖に悲鳴を上げさせながら廻っていた。
 斬撃を伴った風を無作為に、大量に発生させる、風の精術。発動させたのは久しぶりだが、威力と攻撃範囲は申し分ない。
 ――これで、発動までもう少し早ければなぁ。
「ぅぁぁぁああッ!?」
 気が触れた少女の悲鳴。嘔吐する音も聞こえてきた。今すぐ助けてやりたかったが――けれど、アクトに振り返る事は許されなかった。肉片の土壌の上に、傷一つ無く立つ鎧が居るから。
 内部のグロウが生きている事は、僅かに漏れてくる呼吸音から分かっていた。恐らく無傷だろう。木の机程度なら切断する事ができる風術も、一定以上の硬度を持つ物質には効き目が無くなる。風の術は元々、アーマーを相手にする為の術ではない。
「まーた厄介な野郎がいるな、おい」
 いつのまにか隣に来ていたクルトが、呆れ声で呟く。肩に長杖を乗せた、やる気の無い顔。
 アクトも躊躇わずに首肯した。
「俺は風しか使えないし、クルトは焔がメインの術士。アイツも焔の術を使ってたから、焔は効き目薄いんだよね」
「さっきみたいに、簡単な防御術で楽々防がれるからな」
 グロウが張った焔の幕は、発動まで一秒とかからなかった。不意を打った攻撃で簡単に防御が間に合っては、まともに対峙して通じる筈も無い。
「挙句の果てに武器がナイフと杖じゃね。逃げたいんだけど――」
『――この糞ガキァァァ!』
 鎧が咆哮し、大気が震えた。素直に逃がしてくれる程、生易しい相手ではなさそうだ。
 大体、動けないリノウを担いで逃げ出せるとは思っていない。見捨てる選択肢は、始めから存在していない。
「逃がしてくれそーも無いわな。ていうか、本当に逃げるつもりなら、わざわざあの子助けてないしな。どーするよ?」
 グロウの咆哮に震える事も無く、平坦な声でクルトが聞いてくる。アクトはナイフを引き抜きながら彼に答えた。
「動きを止めて上から潰すしかないだろうね。隙見つけたら宜しく、って事で上行って」
「よし来た」
 全て理解したらしいクルトの応答。クルトが少し回り込むようにして、二階への道を探しに行く。
 クルトの行動が見つからないように、足音を立てて走り出す。
『小僧ォォォッ!』
 血飛沫に濡れた鎧が吼えた。膨れ上がった殺意を真正面から受け止めて、アクトはグロウへと突撃した。



 誰かが走る音。鉄が鉄を叩く音。風が斬られる音。肉が潰れる音。血の匂い。酸い匂い。血の噴水。飛び散った脳漿。続く剣戟。潰される腸。砕けた骨。人の残骸。
 嘔吐が止まらない。胃液だけが逆流してくる。瞼が下りない。涙が止まらない。
 あらゆる感覚がリノウから乖離して、無数の情報を伝えてくる。全てに共通する情報は一つだった。死にたい位気持ち悪い。
 生きてきた世界が、全部嘘だった。売られる商品として、育てられてきた。優しい両親が、少女達を殺していた犯罪者だったという事すら、知らなかった。何も知らずに生きてきた自分が、余りにも惨めだった。
 適うなら、全て嘘で有って欲しい。全て夢だよって言って欲しかった。
 ――でも。
 これは夢じゃなく、紛れも無い現実。アクトからも強く言われた。何が起きてもおかしくないって。覚悟はあるか、って。
 リノウは涙を拭った。横たわったまま、深く息を吸い込んだ。催してきた吐き気を、無理やりに抑えつける。
 ――ボクだって、もう、旅人なんだ。
 何回も何回も、深呼吸を繰り返しながら、リノウは自分に言い聞かせた。
 いつまでも寝てられないって。いつまでも、現実から目を逸せないって。
 何よりも――助けに来てくれた彼に、いつまでも甘えてられないって。

 ◆◆

 ――うん、これはキツイかな。
 グロウの周りを飛び回り、斬撃を掻い潜りながら、アクトは淡々と判断した。
 鎧目掛けて、何度か斬撃は繰り出した。が、足止めは愚か、その動きを止める事すらできない。間接部分にも仕掛けがあるのか、比較的薄い筈の地点にすら傷の一つも入らない。
 目的である部屋の中心への誘導は成功しつつあるが、動きを止めないと話にならない。
「ガァァァァアッ!」
 フルアーマーの中でグロウが吼え、大剣を振り上げた。即座に飛び退く。剣が床に叩きつけられ、鮮血と肉の破片が舞い上がった。喰らっていたら肉片の仲間入りだった。
 グロウが即座に顔を上げる。兜の覗き穴から見える瞳は、憎悪の色で染まっていた。
「テメェラ、テメェラ全員死ニヤガレェェ!」
 グロウの足腰が沈み、一瞬で肉薄してくる。
 右後に飛び退る。グロウはアクトの後を追って――来なかった。グロウは猪の如く直進していく。部屋の中心へと。リノウが横たわる場所へと。
 彼女はまだ動かない。動けそうではない。グロウも止まらない。リノウの元へ、剣を構えて――
 ――ッ!
 感情が理性に蹂躙される。思考を挟まず体が走り出す。非合理的な、一時の感情に身を任せる行為。
 ナイフを引き抜いて、グロウの左側から襲い掛かる。反応を許さずに、全力でナイフを兜と鎧の狭間へと――
 グロウの腕が大きく振られているのに気付いたのは、その後だった。
「掛かったな」
 笑いさえ聞こえてきそうな、グロウの冷静な声。アクトは反応すら許されず、腹に一撃叩き込まれた。

 装備していたナイフが砕け、内腑が激しく揺さぶられる。視界が一瞬白くなる。
 体が宙を舞って、天地が逆さになった後、頭から何かにぶつかった。脳が揺れて、意識が闇に落ち――
「アクト!」
 耳元から、リノウの悲鳴。反射的に意識が回復する。どうやら、彼女が寝かされていた台まで飛ばされたらしい。
 必死に体を起こしながら口内の血を吐き出して、重たい瞼をこじ開ける。鉄兜の向こうに、はっきりとグロウの笑顔が見えた。
 ――ミスった。
 内心で自嘲する。直さなければならない癖だと分かっているのに、永遠に直らない癖――協力者を生かそうとする癖。それを最悪の形で利用された。
 声を聞く限りだと、もうリノウの麻痺は取れている。グロウの攻撃も、彼女なら逃げ出せた筈だ。なのに、むざむざ殺されに動いてしまった。つくづく、馬鹿な話だ。
「お前が嬢ちゃんと居て、心から笑ってるのは見てんだ。引っ掛かってくれてありがとよ、小僧ォ!」
 狂った咆哮を上げて、グロウが剣を振りかぶり、突撃を仕掛けてくる。動こうにも、まだ体の痺れが取れていない。動けず、逃げられない。
 両断される自分の姿が、はっきりと見えた気がした。
 ――なら、せめてリノウだけでも。
「リ、ノウ、逃げ、ろ!」
 痺れた体を無理やり起こしながら、可能な限りの大声で叫ぶ。それ以上の事は、何もできない。
 アクトは大剣を振り上げるグロウを少しでも誘き寄せるように、グロウへと殺意を送り続けた――

 ◆◆

 グロウの叫び声は、鬼の雄叫びのようだった。昼間の男とはまるで違う殺意に、リノウの本能は逃げろと叫んでいた。
 もう麻痺は治っている。もう動き出せる。もう、逃げ出せる。
「リ、ノウ、逃げ、ろ!」
 アクトに叫ばれるまでも無い筈だった。逃げるしかない筈だったし、それが正しい筈だった。何もできる筈がないから。
 けれど。

 ――嫌だ。
 逃げたくなかった。助けに来てくれた、アクトを見捨てて一人だけ逃げるなんて、できる訳なかった。
 本能は逃げろって叫んでる。心は逃げるなと吼えている。体が半分に引き裂かれそうだった。 
 残っても死ぬだけかもしれない。けれど、アクトを見捨てて逃げるのだけは、嫌だ。
 死にたくない。逃げ出したい。殺される。死にそうなほど怖い。でも。
 ――ボクは、アクトを、死なせたくない!

 ◆◆

「――わぁぁぁぁぁぁッ!」
 少女の悲鳴――いや、叫び。
 直後に起きた現象に、アクトは思わず思考が止まった。
 リノウが逃げるどころか、グロウの前に立ちはだかった。剣を振り下ろす男に、全力で敵意を叩きつけたのだから。
「な――」
 アクト同様に驚いたのか、僅かにグロウの動きが鈍る。窮鼠に噛まれた猫に似た、明らかな動揺。
 それはリノウにとって、十分過ぎる隙だった。
「ァァァァァァッ!」
 肺の底から吐き出されたような、リノウの咆哮。円を描いて少女が廻り、勢いをつけた蹴りがグロウの後頭部へと叩き付けられる。
 鉄を叩いた音がして、グロウがその衝撃に大きく揺らめいた。振り下ろされていた剣が衝撃に軌道を変えて、アクトの真横を引き裂いていく。
 リノウは力を込めすぎたのか、バランスを崩して床に倒れた。が、それに見合うだけの働きはしてくれた。アクトの痺れも切れた――
 ここしかない。
「クルトッ!」
 叫びながら跳ね起きる。体の痛みを無視して、リノウが叩き込んだのと同じ場所を、全力で殴り飛ばした。バランスを崩していたグロウを地面に叩き伏せるのに、十分な力で。
 鉄を思い切りぶん殴ったから、左手が確実にへし折れた。だが、代償にグロウは地面へと倒した。
 グロウの動きを、刹那の間であれど、封じた。
 ――頼む、間に合え!
 祈り、吼える。クルトの声が浪々と響き渡ったのは、その瞬間だった。
『ファイ・スピア!』
 灼熱の輝きが、頭上で膨れ上がる。刹那に放たれた焔の槍は、グロウに着弾する事無く、遥か頭上にて炸裂した。グロウを狙った物ではない事が、彼が理解してくれていた何よりの証拠。
 成功か失敗か、確認している余裕も無い。アクトは起き上がろうとするリノウを抱え上げて、グロウから――部屋の中心から離れた。
 窓際まで辿り着いてから、中心を振り返る。グロウが剣を持って、立ち上がるのが見えた。地獄を住処とする悪鬼を思わせる、憤怒と殺意に塗れた姿。
「――俺を虚仮にしてんじゃねェェェェェ!」
「――!」
 リノウが怯えたように息を詰まらせ、体を震わせる。アクトは少女を抱き締めた。
「大丈夫。落ち着いて」
 全て終わったと、もう怯える事は無いと、伝えるために。
 悪鬼が大剣を抱え、走り出す――その頭上へ、鎖を焼き切られたシャンデリアが落下した。
 アクトが狙っていた、グロウを殺す為の方法。
 前屈みになっていたグロウに、シャンデリアが圧し掛かる。地面に押し倒された男に主柱が突き刺さり、その頭蓋を押し潰した。弾け跳んだ骨や脳漿も硝子の雨に飲み込まれ、残された本体も輝きの中に消えていく。人間が潰れる音は、未曾有の硝子が砕け散る轟音に掻き消された。
 轟音が静まり返った後、シャンデリアは犯罪者達の墓標となって、静寂の中に鎮座していた。

    ◇◆◇

「はー。助かった」
 戦場に静寂が戻った後、全身から力を抜いて、アクトはその場に腰を落とした。できるなら無傷で居たかったが、左腕を折って、一発殴られただけだ。勝ちの代償としては安い。どうせ、自業自得の怪我だ。
「終ったよ、リノウ」
 腕の中に居るリノウに、言葉をかける。少女は一度体を震わせてから、恐る恐る顔を上げて、そっと後を振り向いた。
「お、わ、った?」
「うん。終った」
 一文字一文字をゆっくり呟く少女に、アクトも丁寧に言葉を返す。けれど、少女の震えは収まる気配を見せなかった。呼びかけようかとも思ったが、止めておく。代わりに、両腕で軽く抱き締める。少しでも落ち着かせる為に。
 リノウも、逆に抱き締めてきた。怯えた幼子が兄にしがみつくように。
 やがて、少女の鼓動が収まって、震えが止まっていく。どうやら、落ち着いてくれたらしい。
 と。
「――信じられないよ。父さんと、母さんが、ボク、を……」
 不意に聞いた声に、リノウを見つめる。
 彼女の瞳は湖面のように揺れていて、涙が決壊する寸前で止まっている。言葉も明らかな涙声で、いつ壊れてもおかしくなかった。
「全部、嘘だった、ら。全部、夢、だ、ったらって、凄く、思う……でも、違、うよね? 夢じゃな、いんだよ、ね?」
 儚く揺れ動く少女の問いかけ。アクトは、短く頷いた。
「残念だけど、夢じゃない」
 嘘や冗談、慰めを言えるほど、口が上手じゃないのは分かっている。だから、アクトは正直に言った。
 リノウは腕の中で何度か頷いた。彼女も、返事を分かっていて聞いたのだろう。
「……だよね。ボク、も、分か、ってるん、だ。でも、でも――」
「リノウ。もう、何も言わなくていい」
 リノウの言葉を止めて、右手を彼女の頭に乗せる。優しくその頭を撫でた途端、湖面から小さな雫が零れ落ちた。
 決壊した堤防から水が溢れ出すように、リノウの瞳から涙が溢れ出していく。
「リノウが泣き虫なのは知ってる。我慢しなくていいよ。全部、ぶちまけてくれて構わないから。泣きじゃくるのが、普通だと思うから」
 微笑みながら、もう一度、頭を撫でる。それが、決め手になった。
「――ぅぁぁ……ぁぁぁぁぁっ!!」
 リノウが、泣き叫び絶叫する。魂から放たれた少女の慟哭が、夜闇の隅々にまで響き渡っていく。
 止め処なく泣きじゃくるリノウの体を、アクトは目を瞑って、最後まで抱き締め続けた。

 ◆◆

「――で。この後、どーすんの?」
 全てが終った帰り道。十六夜の月が天頂に浮かぶ、静寂に包まれた夜道の中で、クルトは同行者へと声をかけた。折れた腕で、眠る少女を背負うアクトへと。緊張の糸が切れて泣き喚いた後は、少女はずっと幸せそうに眠っていた。幸せでは無いだろうけど、何か吹っ切れたのか、穏やかな寝顔だった。
 月明りの下で見るその姿は、どこか泣き疲れて眠る妹を背負う兄を思わせた。
「この後どーするも何も。クルトが探してきたそれ、副隊長に渡しに行くだけだろ?」
 平坦な声でアクトが返してくる。クルトの右手にある二つの袋を指差して。
 戦闘が終った直後から、館中を歩き回って探し出した情報の山。この事件の顛末を紹介する為に必要な書類が詰まった袋。もう一つは、今回アクトが受けた仕事の依頼金額に相当するだけの金が詰め込まれた袋。
 元々は、この証拠書類を持って、治安警察に全ての事情を説明に行く予定だったが、そんな事を聞いたつもりではない。クルトは半眼で呟いた。
「そーじゃねーよ。その子の事」
「リノウの?」
「あぁ。その子、どーすんだって話。昨日、旅に連れて行く約束してたんだろ?」
 酒を飲みながらの下らない与太話の中で、アクトが話していた事だ。
 アクト個人の行動である以上、クルトは反対しなかったし、先程の動きを見せられては反対する理由も消えた。
 が、それは彼がファルシークとして結んだ話だ。ブルーシーカーのアクトとして、結んだ話ではない。少女との約束を反故にするのか、それとも違うのか。自分には関係の無い事では有るが、多少は気になる。
 彼は前を向いたまま、あっさりと即答してきた。
「副隊長の家に預けるよ。それが一番安全だしね」

 ――へぇ。
 クルトは内心だけで驚いた。今日の様子を見ると、少女を仲間だと認めていた様なのだが。
「良いのかよ? 約束反故にしても」
「その方がリノウの為だろ?」
 実にあっさりと、平坦な声で告げてくる。確かに、それは事実では合ったし、彼の本心ではあるだろう。が、
「安全、ってだけだろ? ブルー・シーカーが見る世界を見せたくない、って気持ちは分からなくもねーけど。その子はさっき、あのオッサンにも立ち向かった。実力もあれば性根もある。連れて行っても問題ないだろ。何より、その子が望んだ事じゃねーのか?」
 アクトは何も言い返してこなかった。その沈黙が、彼自身も納得していない事の証明だった。
 彼の気持ちが分からない訳ではない。グリーンの一つ上であるブルーの仕事は、人殺しを行う仕事である事も多いし、それを許可されている。まだ十五に過ぎない少女に見せるには、余りにも酷過ぎる世界。
 ――けど、そういう仕事に連れて行かなきゃ済むってのによ。
 その事を理解していない訳では無いだろうに。
「お前もその子、気に入ってんだろ。その子の話をしてる時、かなり楽しそうだったぜ、お前? ま、俺はお前の保護者じゃねーし、これ以上は言わねーけどよ。自分の本心、無理に誤魔化す必要もねーだろ?」
 彼は沈黙を通し続けた。意固地というべきか、心配性というべきか。同じブルーとして伝える事は伝えたから、後はアクトが決めればいい話だが――
「リノウが心から望むかどうか、だよ。こんな事の後でも、なお」
 アクトは正面を向いたまま、そんな事を口にした。それ以上の事を喋る気は無いと表情に出ているが、クルトにとってはその一言で十分だった。
「そういう事かい。面倒な事するな、お前は」
「それがリノウの為だしね」
 抑揚も何も無い相槌。だが、彼の本心はつまり、そこに集約されるのだろう。
 それきり彼は何も言わずに、月明りの下を歩き続ける。クルトもそれ以上口は開かず、彼の沈黙に付き合った。
 十六夜の月光の中、リノウの寝息だけが二人の狭間を流れ続けていた。
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by sora_hane | 2008-08-30 02:05 | 小説